2007年09月29日

オランダ植物点描(19)−Plant Scenes in Holland

NPO法人栽培植物分類名称研究所理事長 大場秀章

ファン・ロイエン標本〜パラフェルナリア〜シダレヤナギ〜
ヒメムカシヨモギ〜イヌタデ〜デージー〜アカバナ〜
Symphoricarpos〜Quercus robur〜Quercus rubra

19.ライデン再び
 ライデンで私に最も関係の深い国立植物博物館ライデン大学分館はライデン中央駅(Leiden Central)の東側の新開地にある。旧市内すなわち中心部とは駅を挟んで反対側になる。最初にライデンを訪れたとき、市内を案内してくれた今は無き大植物学者が駅の南側を指さし、ここにあるのは隔離病棟と水溜りだけだと言ったのを思い出す。事実、駅近くから隔離病棟と思われる建物が幾棟も続いていたのを思い出す。その後、そこにはMCLU、すなわちライデン大学医療センターが巨大な建物群を擁して立ち、国立自然史博物館 Naturalis ができた。この博物館はオランダでも一二を争う大人気で夏休み中も大勢の親子連れで賑わった。さらに駅から離れたところに植物博物館があるファン・ステーニス・ヘボウ(Van Steenis Gebouw)と呼ぶ建物がある。元はコンピューター関係の会社だったというモダーンな建物を再利用したもので、アカデミックな印象は薄い。RijksherbariumまたはNederlands Nationaal Herbariumがその名称である。国立植物標本館が適切な訳語であるともいえるが、私はあえて植物博物館と訳している。研究教育用の標本をコレクションの中心にしてはいるが、多くの歴史的コレクション、有用植物のサンプル、図書、植物画、植物模型を所有し、小規模ながら展示もしていて、日本語での標本館のイメージを超えている。[2006年8月31日 ライデンにて →全文はこちら

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オランダ植物点描(18)−Plant Scenes in Holland

NPO法人栽培植物分類名称研究所理事長 大場秀章

シダレトネリコ〜ブナ〜スズカケバカエデ〜セイヨウトチノキ

18.ナイメヘンを歩く
A325という北のアルンヘム(Arnhem)とナイメヘンを結ぶ主要道路に出て、ナイメヘンに着いた。橋から見えた物見の塔(櫓?)らしきものの近くを歩いた。そこは硬い岩盤(久しぶりの岩との対面である)の上にあり、位置的にもライン川に臨む要塞として重要な場所であることがすぐに理解できるところだった。事実、その一角にはローマ時代に建造された要塞が半分崩れかけた状態で保存されていた。半球形のドームを載せたその建物はいくつもの狭間をもち、前線の防衛拠点として重要な役割を果たしていたのだろう。ローマによるネーデルランドの支配は紀元400年頃には終焉を迎えていたはずだから、以降1600年もの間それが放置されてきたとは思えない。事実要塞にはその後のものと思える改修の跡が見られる。実物に見えた物見の塔が実はラミネートシートを張り巡らしただけの「張りぼて」だったのは面白かった。また、可笑しくもあったが、秀吉の一夜にして作ったという墨俣城もこんなものだったかと思った。どうすれば遠方から見たら本物らしく見えるか考えての作事だったのだろう。[2006年8月31日 ライデンにて →全文はこちら

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オランダ植物点描(17)−Plant Scenes in Holland

NPO法人栽培植物分類名称研究所理事長 大場秀章

Salix alba〜ブナ〜シナノキ

17.ワーヘニンヘンからナイメヘン
ライン川に通じる運河のひとつを車ごとフェリーで渡った。わずか数分の距離でなぜ橋を作らないのか不思議だった。ところでそこからも遠くないライン川の本流はワーヘニンヘンやナイメヘン(Nijmegen)の辺りで随分と蛇行している。川跡湖こそにはならないものの、やがてそうなるのではと思われる流跡も多く見られた。そうした流れに沿って生えているのはヤナギ類だが、その多くは葉がシダレヤナギのそれに似て、裏面が白色になるSalix albaだった。自生のものとのことである。[2006年8月31日 ライデンにて →全文はこちら

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オランダ植物点描(16)−Plant Scenes in Holland

NPO法人栽培植物分類名称研究所理事長 大場秀章

林地園芸〜サージェント〜シュナイダー〜ケーネ〜
フォレスト〜キングドン・ウォード〜メコノプシス〜テイラー〜
国際樹木学会〜リンネ学会〜国際多肉植物学会

16.林地園芸
話は変るが、今でもヨーロッパでは重要な園芸のひとつに林地園芸がある。これは森林形式の造園で、多くは多数の針葉樹や落葉広葉樹を森林のように植え、樹下に様々な草本を植え込む庭園といえる。もともと園芸は裕福層から広まった歴史をもつため、広大な敷地を利用しての植え込みに苦労した。フランス式の造形庭園も流行ったが、後に林地園芸がブームになり広まったのだ。林地園芸の隆盛とともに樹木の研究も盛んになり樹木学が発展した。樹木学は林業樹木の研究というよりは林地園芸に適した樹木の研究が中心にあったことは日本ではあまり知られていない。今でもヨーロッパに残る樹木学会は林業樹木の研究とは別の対象を主体にしたもので、その会員やスポンサーには広大な敷地をもつ裕福層の人々が多い。東アジアの樹木の分類学研究で功績を残したアメリカ合衆国のサージェント(Charles Sprague Sargent)やオーストリアのシュナイダー(Camillo Karl Schneider)、サクラを研究したケーネ(Bernhard Adalbert Emil Koehne)など、19世紀後半から20世紀前半に多数の樹木学者が輩出したのもその隆盛と無関係ではない。イギリスやアメリカ合衆国などでは林地園芸を対象として雑誌も登場した。[2006年8月31日 ライデンにて →全文はこちら

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オランダ植物点描(15)−Plant Scenes in Holland

NPO法人栽培植物分類名称研究所理事長 大場秀章

ベルモンテ樹木園〜ウイベ・カイテルト〜サクラ〜
ヤマザクラ〜ナラ〜Quercus robur〜ライムギ

15.ベルモンテ樹木園
 8月28日にライデンから電車でユトレヒトを経由してワーヘニンヘン(Wageningen)に出かけた。目的は彼地に所在する農業大学を訪問、特に付属の樹木園を見学することだった。ドイツ国境にも近いワーヘニンヘンは第二次世界大戦では大きな被害を受けた。建物も多くは破壊されたり、接収の憂き目にあった。現在、ベルモンテ樹木園(Arboretum Belmonte)になっているのは、かつてスイス系貴族Constant Rebecqueの屋敷があったところで、戦争中は接収され指令本部になっていたそうだ。古い樹木はあまり見られず主体になっているのは1950年代に植樹されたと思われるものが多い。ちょうどバラ科の木本を中心に植栽がなされている一角を見てまわったが、日本や中国原産の樹種も数多く、そのコレクションの充実ぶりには驚いた。
 最も若い植樹は京都造形芸術大学でも教鞭をとるサクラの園芸品種の研究家ウイベ・カイテルト(Wybe Kuitert)さんの収集した日本のサクラの園芸品種である。多くはいわゆるサトザクラにまとめられる園芸品種だが、ヤマザクラ系、オオシマザクラ系、オオヤマザクラ系の3系に属するものが多かった。他の系のものはさほどではないが、京都を中心に収集したそうである。彼はアメリカ合衆国のティンバー・プレスから1999年にサクラの本『Japanese flowering cherries』(日本のサクラ)を出版しているサクラの研究家でもあり、今日は実物を見ながら彼からサクラの話を聞くのを楽しみにしてきた。[2006年8月31日 ライデンにて →全文はこちら

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オランダ植物点描(14)−Plant Scenes in Holland

NPO法人栽培植物分類名称研究所理事長 大場秀章

イソマツ〜ハママツナ〜サラダ〜ズッキーニ〜キュウリ〜
ブロッコリー〜タマネギ〜ニンジン〜ジャガイモ

14.イソマツとハママツナ
 先週末はもう長い付き合いになる先生の新居に呼ばれて旧交を温めた。そこはライデンの東の郊外で、周囲には広大な保護林が広がり、12階の窓からはライデンはもちろん、遠くロッテルダムからハーグ、ハーレム方面までも望むことができた。4月に引っ越したばかりだという新居は新築の中層アパートだが、各階わずか3戸だけのスーペスのゆったりとした集合住宅である。しかも最上階の彼の部屋は中2階になっており、大きなベランダ付きである。およそ1kmのところには病院もあり、選択のひとつはあの病院だったと半ば冗談で言っていた。考えられなくもないが彼はまだその齢ではない。
 そこで出されたサラダにイソマツの1種(Limonium sp.)の葉を油で軽く炒めたものがあった。海に囲まれたオランダだから塩生地に適応した植物は種数だけでなく、量も多いことだろう。こうした塩生植物を食用に利用したことは十分に考えられることではある。同席したベルギー生れの植物学者もベルギーでも沿岸地方の人たちが食用にすると言っていたから、イソマツの1種を食べる習慣は広い地域に及んでいる可能性がある。これは今ではスーパーマーケットでも買えるそうである。例のマバレーの本を見たがこのことは書かれていない。[2006年8月29日 ライデンにて →全文はこちら

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オランダ植物点描(13)−Plant Scenes in Holland

NPO法人栽培植物分類名称研究所理事長 大場秀章

13.入学日まぢかな大学町
 ライデン市民のヴァケーションは終ったといってよい。先週には小学校が始まり、今週(8月28日)からは高等学校や大学が始まる。入学式のシーズンになる。泊っているホテルは大学本部のそばでもあるから、入学式に参加するためだろうか、あるいは両親や孫の入学の機会にライデンを訪れたのだろうか、それらしい様子の宿泊客が多い。最近は在学生による催しも多い。日曜日の今日は数百メートルもの長い白い布地を右手に掲げた大勢の学生がブラームスの大学祝典序曲にも使用された学生歌を口にしながら行進していった。
 大学とは直接関係はないが、10月3日はライデン最大の祭りがある。これはスペイン軍に包囲されつつも篭城した市民が、大きな魚を掲げてスペイン軍に見せると、数か月も篭城を続けてもまだこんなに豊かに食べ物があるのかと誤認し、篭城を解いて市内から出て行った日を記念したものだそうだ。つまりライデン解放の記念日である。ネーデルランドと呼ばれたオランダは15世紀後半から長いことハプスブルブ家の支配下にあった。16世紀のカール5世の時代はブリュッセルに国家の中枢が置かれ、繁栄したが、カール5世が王位を退くと、息子で兄のフェリペ2世と弟のフェルディナント1世の間で領地が分割され、ネーデルランド(今日のオランダ、ベルギー、ルクセンブルクも含む)はフェリペ2世のスペイン王国の支配下に置かれたのである。[2006年8月29日 ライデンにて →全文はこちら

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オランダ植物点描(12)−Plant Scenes in Holland

NPO法人栽培植物分類名称研究所理事長 大場秀章

アオサ〜アッケシソウ〜ホロムイソウ〜シバナ〜ヨシ〜
サンザシ〜ナナカマド〜サバクグミ〜グミ属〜ハマナス〜
ツュンベルク〜ファン・ロイエン〜アジサイ

12.ハマナス
 閑話はこのくらいにして植物のことに話を戻したい。今回のオランダ滞在中の、まだ7月の熱波が多少残る時分に、オランダ北方に連なる島のひとつ、アメラント島の旅行に誘っていただいた。西からVlieland、Terschelling、Ameland、Schiermonnikoogという比較的大きい4つの島とさらにいくつかの小島からなる群島はWaddeneilanden、すなわち「ワッデン海群島」と呼ばれる。その群島の中心に位置するのがAmelandアメラント島である。長さはおよそ27km、幅は最大箇所でもわずか8kmに過ぎない。人口は3500人と聞いた。多くは牧場で羊や牛を飼って暮しているが、暮しぶりは豊かそうにみえる。島へはフリースランド州のレーワルデンの北北東に位置するHolwerdからフェリーを利用して渡る。夏はオランダはもちろん、ドイツやスカンディナヴィアから長期にヴァケーションに来る人たちが多く、普段は静かと思われる島も賑やかだった。
 概ね東西に細長い島の南側、すなわち陸に面した側はどこまでも遠浅の水面が広がり、それは海というよりも大きな湖水の岸に沿うように思われた。海岸は一度だけ段丘状になって、そこから海に向う傾斜地を降りていくと、まず礫混ざりの比較的目の粗い砂地があり、次第に長さ幅とも1mm前後の粒のそろった砂地へと変っていく。そして現在海水に直接洗われる部分は黒灰色をおびた細かいシルトになっている。ところどころに岩が露出していて、そこにはアオサなどの海藻が付着し、幅6cmほどになるカニが見られた。[2006年8月29日 ライデンにて →全文はこちら

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オランダ植物点描(11)−Plant Scenes in Holland

NPO法人栽培植物分類名称研究所理事長 大場秀章

シナノキ〜ポプラ〜アマ〜リンネ

11.再びシナノキの話
 脇道にそれたついでにもう少し言葉のことを書かせていただこう。また、シナノキのことだが、市場にシナノキが間隔を置いて植えられているのは馬を繋ぐためである。ライデンでは教会の前庭や運河沿いの広場など人の集まるところは、かつての慣習に則してか必ずといっていいくらいシナノキが植えられている。だがヨーロッパでもより南の地中海地域、あるいは西アジアになると、それが乾燥に強いシダレヤナギ、とくにポプラに代るといってよい。ポプラの日本名はその属名であるPopulusによっているが、広場に普通な、つまりはポピュラー(popular)な木であった。ポピュラーがポプラから派生した言葉popularis(ポプラのような[つまり、どこにでもある→普通な])によるのは明らかだが、人々をいうPeopleもポプラと同源と思いたくなってしまう。多分、かたちの上ではpeopleもラテン語のpopulusに由来するであろうが、手元にはこの種のことを調べる参考書もないので、さらなる語源や変性過程は知りようもない。
 ところでシナノキは英語でLin-treeまたはLindenである。linはもともと繊維や糸あるいは紐に関係した言葉で、シナノキがかく呼ばれるのはその樹皮から繊維を採ったからだろう。これは世界中に共通する現象だが、繊維材料は木から栽培の容易な草へと変っていく。ヨーロッパで繊維植物として普通に栽培されるようになったのはアマ(主体はLinum usitatissimum)である。アマの繊維としての利用は紀元前のはるか昔にさかのぼるが、ヨーロッパで畑に栽培して繊維や後に述べる油の生産に利用したのはかなり後のことではなかったかと想像している。[2006年8月29日 ライデンにて →全文はこちら

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オランダ植物点描(10)−Plant Scenes in Holland

NPO法人栽培植物分類名称研究所理事長 大場秀章

corn〜コムギ〜オオムギ〜ライムギ〜オートムギ〜トウモロコシ

10.コーンマーケット
 ヨーロッパの古くからの町には今も計量所(オランダ語はwaag)が残っている。小さいながらも立派な建物が多い。計量所は取引きに欠かせない。大きな天秤が天井から吊り下げられており、建物の頑丈な構造はそれを支えるためにも必要だったのだろう。ライデンにも計量所が残っている。新旧のライン川が合流する辺りの運河沿いにたっており、昔は舟などで運ばれる穀類の計量で建物内は日々忙しかったことだろう。アムステルダムの北に位置するホールンでは、今も残るかつての東インド会社の本部だった建物と広場を挟んだ向い側にかつての計量所(今はカフェレストランになっている)があるが、その高い天井から吊り下がる秤は、相当な重量の物資がここで計量されていたことを思わせる。ナッソウ家の本拠地であったフリースランド州の州都レーワルデンの計量所はさらに立派だ。町の中心部を囲む運河の東西南北から入り込んだ枝運河に面したその名も計量所広場(Waagplein)に残るそれは、ルネサンス期の1595年から98年に建設されたという古い歴史をもつ。
 町にあるもののひとつがコーンマークト(Koornmarkt)とかそれに類した名の広場である。これは文字通り穀物の取引きつまり売り買いがなされた広場で、トウモロコシを売っていた広場ではない。Koornすなわち英語のcornとは普通はムギ類、すなわちコムギ、オオムギ、ライムギ、オートムギをいう。あるガイドブックにはトウモロコシが取引きされたと書いてあったが、南米原産のトウモロコシがヨーロッパで栽培されるのはコロンブス以降のことである。[2006年8月29日 ライデンにて →全文はこちら

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